2005年12月28日

ジョン・ハーシーが

天津に育っている外国人の少年として子供時代から周囲の生活を観察し、それを、あるままに理解しようとして来た心の習慣は「ヒロシマ」の成功の可能をもたらしている。「ヒロシマ」にたたえられているヒューマニティは人間の不幸、悲惨がどういう程度のものであり得るかということを深く理解している一人の男が、その目にあった人々によって語られる物語をきき、そこにあった状況としてこの真実性とそのような状況にぶちこまれて生きるために闘った人間の真実――ヒューマニティを尊重して正直にそれを整理し記録しているところから生れている。その過程でハーシーは、日本人の習慣的な感情、天皇というものに対して植えつけられている錯覚的な信頼の表現などさえも、切りすてていない。(頁一〇四―一〇五)
 新しい文学を語るとき、作者のヒューマニティーがどのような角度で題材そのものの人間性に結合してゆくかという点――結晶点が、注意ぶかく社会的にとりあげられていいと思う。
 第二次大戦中、アメリカの前線報道員として命をおとしたアニー・パイルのほんとに民衆の友としての働きかたは、これも現代のヒューマニティーの花であった。アニー・パイルも、こんにちの階級社会の紛乱とそのわれ目におちこむ多数の人々の不幸、不幸になってはじめてその人にとってその不幸の性質が理解されるような不幸について、深い理解と同情をもつすぐれた人々の一人であった。そして、一握りの人間が、決して自分の靴の底皮をぬらすことなくともかく生きていなければならない人々の大群を不幸に追いこんでいる現代の戦争というものの本質について深く知っていた。
池袋風俗
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2005年12月26日

「ヒロシマ」と「アダノの鐘」について


 ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」と「アダノの鐘」は、日本の読者にもひろくよまれた。そして、ハーシーの作品ににじんでいる人間性に感銘されたという読後感が一致した。「ヒロシマ」は全く記録としてかかれていて「ヒロシマ」をドキュメンタリーに扱うために、ハーシーは日本へ来て、しずかに勤勉にゆきとどいた科学的態度で材料を集めた。第二次世界大戦が人類の生活にひきおこした破壊と惨酷の姿が、「ヒロシマ」にまざまざと一つの典型を示している。原子爆弾が、はじめて殺人の武器として登場したことと並んで「ヒロシマ」は、人類がその文学のうちに初めてもった記録文学の一種である。
「ヒロシマ」がすべての読者に与えた人間的な印象、そこに親切な観察者の眼と心が働いているという感銘は、ひとくちにジョン・ハーシーのヒューマニティと云われて来ている。しかし、このヒューマニティという言葉を、ありきたりの心の温さとか柔軟な感受性とかいう人道主義的な枠の中で理解するだけでは足りないと思う。ハーシーが、一九一四年天津で生れ、中国で幼年、少年時代をすごしてからイエールとケイムブリッジ大学で学んだジャーナリストであるということは、ハーシーの人生の見かた、世界のできごとに対する態度に影響している。天津でミッションの仕事をしていたひとの息子として生れ、天津にいるアメリカ人の少年として青年時代の初期を中国に育ったジョン・ハーシーの心は、喧騒な中国の民衆生活のあらゆる場面にあふれ出ている苦力的な境遇、底しれなく自然と人間社会の暴威に生存をおびやかされながら、しかも、同じように無限のエネルギーをもって抵抗を持続してゆく人々の現実が、どんなに強烈な人間生活の色彩・音響・さまざまの状況の図絵として刻みこまれているかしれないだろう。彼は、その人の夢の中に中国の情景があらわれる少数のアメリカ人の一人なのである。そして、ジョン・ハーシーや、パール・バックやアグネス・スメドレー、エドガー・スノウ、ヒュー・ディーンその他見る夢のなかに中国があらわれることのある人々の精神は、東洋にとって貴重なだけではない。アメリカの常識の良識と誇りあるべき民主主義にとって、今日ほど貴重である時期はない。なぜなら現代のアジアは何かの権勢によって単に処理されるべきところとして存在しているのではないのだから。
名古屋風俗
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2005年12月25日

題材的には

数年前になかった変化があって、例えば大石千代子氏のブラジル移民を描いた小説、小山いと子氏の「オイル・シェール」のような題材のもの、川上喜久子氏の朝鮮を背景とした作品など出ている。そのほか多くの婦人作家たちが、満州、支那、南洋へと見学にも出かけている。
 十年前なら、秋の奈良へ行って博物館や法隆寺を見ていた婦人作家たちが、今日は満州だの蘭印だのへ出かける。
 そういう風に動きの領域がひろがったことは、次第に婦人作家たちの内的世界をもひろげて行くのだけれど、今日ではまだその目で見耳にきかされることを十分理解し、洞察し、判断し、事の真実にまでわが心情にふれて行って芸術的な作品を生み出してゆくところまで婦人作家の生活と芸術の母胎は強靭になっていない。題材的にひろがった作品の多くは、芸術の美を持つのが困難な姿であらわれているのである。同時に、今日の婦人作家が、今日私たち女全体が身に経つつある転変について余り代表的な作品をおくり出していない事実についても、何故であろうかと考えさせられる。そういう現象をもたらしている内と外との事情があるとすれば、それはとりも直さず婦人作家の明日の成長にかかわることとして考えさせられることだと思う。
〔一九四一年五月〕

熊本風俗

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2005年12月24日

拡がる視野


 最近の二年ほどの間に、婦人作家の活動はかなり活溌にあらわれた。
 それにはいろいろ複雑な理由があると思うけれども、第一には、過去十年ほどの間多くの困難を経験しながらそれでも文学はすてずに努力して来ていた婦人作家たちが、文学の技術や生活経験においてその人々なりにある程度に達して来ていたとき、現代文学がめぐりあうようになった深く大きい動揺につれて、婦人作家の存在が一般の活動の裡へ登場して来たことがいわれるだろう。
 外部の条件として、インフレ出版と呼ばれるような出版の活況があって、一面ではその乱暴な出版洪水のために、文学は荒らされているのも現実である。婦人作家の文学業績も無責任に商品化されてゆく危険があるのだが、めいめいの心がけによっては、こういう時期をも将来の自分たちの成長のための何かの条件として本当の意味で積極的にいかして行けないものでもないと思う。
 これは、この一、二年急に文学を読む読者層がかわって来たという事実とも繋(つなが)りのあることで、一般に現代の日本の文学が真面目な一展開の時期におかれているとおなじく、婦人作家も、今日或る積極な存在なら、それはとりも直さず次の成長への期待のために慶賀されるべきことなのだと思う。
 現在では日本の婦人作家の性格、個性がまだまだ弱い。持ち味というような範囲でその作家は他の作家から自分をわけている範囲だと思う。
沖縄風俗
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2005年12月23日

カッスルののこした芸術は

踊るあらゆる若者に愛されるのだ、というような科白での芸術論は、この場合、極めて非芸術的である。監督も勿論大した馬脚をあらわしているのだけれども、アステアにしろ、どうして、そこのところにこそ表現されるものとしての芸術の真髄が潜められていることをつかまなかったのだろう。
 カッスル夫人がほんとうの芸術家の情緒に生きているならば、あのクライマックスでこそ踊らずにはいられないだろうと思う。女として自分の裡に活きているそのまざまざとした歓び、そして、この苦痛。体を凝っとはさせていられまい。そこで踊る彼女であってこそ、今やカッスルのパアトナアとしてのみのカッスル夫人ではない一個の新しい独自な踊りてとして生誕し得るわけである。
 風邪をひいて臥ていた稲子さんのわきに坐って、私が一生懸命その心持を話したら、稲子さんは、ふっと笑った顔になって、もし男のカッスルが生きのこる方だったら踊ったかもしれない、と云った。私たちは女の作家なのだから、そういうことも決してその時ぎりで忘れるような自分たちの心持で喋っているのではないのであった。

〔一九四〇年五月〕


人妻風俗


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2005年12月22日

本当にこうも踊れる男と女とが

こういう夫妻の情感でおどったら、こう踊るしか踊りようもないであろうと思われた。その位内部的にも充実しきった美しさであった。
 これがこの世で踊った二人の最後の踊りともしらず、カッスル夫人は、自分たちの結婚記念の夜、二人にとって思い出の深い踊り場で、良人が指図しておいた舞踊曲の奏されるのを聴きながら、良人のあらわれるのを待っている。時は徒にすぎて、遂にカッスル墜死の報告が、その懐しい舞曲のなかへもたらされるのであるが、彼女にとってその刻々のうちに予想されていないでもなかった大きい打撃が遂に事実となったとき、そして音楽は益々情をこめて彼等の歓びの思い出の曲を奏しているとき、悲しみと愛との怒濤にもまれて、彼女はどうしてそのとき泣きながら、涙の顔を愛する良人に向ってふり仰ぎながら夢中で踊りの身ぶりで、その苦しみを表現する自然の欲望に導かれなかったろう。
 あんなに微妙に愛のよろこびを表現しておどった夫妻、それがこの一生一度の悲しみのとき、悲しみの堰がやぶれて踊らないというのは、何と奇妙で不自然だろう。映画では気の毒な月並の手法で、長椅子にかけたまま宙を見つめるカッスル夫人の前に、幻の良人が庭園の並木の間を次第に彼方へ遠のきつつ独り踊ってゆく姿を出しているのである。それならそれでいいから、その幻の踊りの姿に我ともなく体をひき立てられ、どうして悲しみの踊りをおどらないのだろう。よしや悲しみの踊りでなくそれがよろこびのおどりなら、その歓喜の踊りを、どうして今の女の、無限の悲しみで踊りぬかないのであろう。
関西風俗
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2005年12月21日

表現

 私は映画がすきなくせにいつも野暮ったい観かたばかりしているのだけれど、さきごろの「カッスル夫妻」でも、いろいろの印象をのこされた。アステアのカッスルが、初め喜劇役者として稼いでいる。筋のはこびでは、後にカッスル夫人となったロジャースの娘にあってそのかえりの田舎の小さい停車場で初めて踊るのだが、あれほど踊りこそ天職と思っている青年がその宝を見出されないで喜劇役者をやっている悲しさというか、その芸術家として必然と思われる哀愁が、初めの部分の踊りかたではちっとも描き出されていない。興業師のマンネリズムがカッスル・ウォークの真価をみとめないで苦境におかれるという関係の面だけは後で説明しているけれども。
 アステアの踊りの感覚からおしはかると、そういうピエロの悲しみが決して分らない男だとは思えない。監督が何か表面の筋に足をとられている。そんな風に感じた。
 そうして観て行って、成功したカッスル夫妻の様々な新しい踊りの姿、カッスルの出征、やがて二人が最後に一緒におどる踊り、カッスルは軍服で、カッスル夫人は白い装でおどるあのワルツ風の踊りは、実に美しかった。磨きぬかれた舞踊の技術と情緒の含蓄と、しかもその情緒を貫く愛の思いがいかにも睦み合う夫と妻との諧調を表現していて、全く感動的であったと思う。広いホールに、時間が来たのにまだ現れない前線からの良人を待って、踊りを所望されたカッスル夫人が、不安な白鳥のように孤独でたゆたっている。ところへ、カッスルが入って来て、ああ、と両方からよりそって手をとりあったその感情から、静かな、劬(いたわ)りのあるステップが流れ出す。次第次第にそのステップは熱し、高まって、優しく激しい幾旋回かののち、曲は再び沈静して夫妻は互に互の体を支えあいながら、顔をふるるばかりに近く互に見入りながら、消えてゆく音楽の余韻の裡に立っている。
韓国風俗
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2005年12月18日

われわれが

こういう特殊な性格の本をよみ、その批評をする場合、そういうことをするほんとうの意義というものは、どこにあるのだろう。『春を待つ心』のまえがきで、星塚敬愛園長の塩沼氏が「園内の子供たち」もどんなにこの本が世に出ることをよろこんでいるかしれないと言われている。この「園内の子供たち」という言葉は、訴えにみちている。『癩者の魂』のそれぞれの作品がほとんどペンネームで発表されているところにも、これらの人々の生の深い思いがある。
 このような本が出版されることそのことが一つの社会的なアッピールではないだろうか。そして、これらの本を書評にとりあげることの本質には、これらの人々の切実な生のよび声を、わたしたちの社会連帯の感覚のうちによりひろく伝える義務がふくまれていると感じる。健康な人間が健康な人間を殺戮するために科学の精髄をつくして研究している、その莫大なエネルギーと費用の幾分でもが、人類にとって不幸きわまりないこの病菌からの解放のためにふりむけられることこそ、ヒューマニティーの義務であると思わずにいられない。
〔一九五〇年四月〕

仙台風俗
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2005年12月17日

川端康成氏の序文は

この写生文集の本質をよく語っている。松山くにという少女の素直さ、弾力のある感受性。だが「癩療養所という世間離れのために」「あるいは読書と教育との変則のために、この子は年相当の成長はしなかったのだろう」その子供のこころのまま生きた療養所の周囲の自然や人々の姿が『春を待つ心』の中に小さい子供の話のようにいきいきと動いていて、しかし全体とするとどこか客観的なつかみかたの足りない話しかたで書かれている。この少女にとって、療養所の生活が、精神年齢の成長をおくらせていたということは『春を待つ心』の「床の中」と「故郷を離れる」をよみくらべると、はっきりわかる。十二歳のとき書いた「故郷を離れる」の方が、十七八歳でかかれたものよりも生活的であり描写に現実の重量がある。
『春を待つ心』についての書評は、もうあちこちにのっている。それらの批評は、どれも好意的である。それは自然なことだと思う。この『春を待つ心』に対して、誰しも、やさしくされた心でしか物は云えない。
 子供のままのこころと云っても十七八歳になった少女として、故郷を離れ、療養所の集団的な生活の中に「お母さん」や姉さんたち「お父さん」をもって暮している松山くにの胸の中には、やはり、十二の子供にはない思いが去来している。「お母さんの入室」「かいせん焼」「碁」「月蝕」「草履つくり」「着物のがら」「一本松」「目」「鼻」「悪口」「闇取引き」「散歩」などじっくりよむと、文章をあふれて深くせまって来る情景や生の思いがある。
 ほとんど同時に、やはり国立癩療養所である多磨全生園の文芸協会が編輯した『癩者の魂』も出版されている。これは、大人の作品であり『春を待つ心』とは全然ちがう。『春を待つ心』が大人にならない少女の心によって自然の日が照るように自然の雨が降るように書かれた文章とすれば『癩者の魂』はおとなの文学作品という意識によって筋をたてられ、描写され、まとめられている作品である。読者は、それらの作品が、現代ジャーナリズムに氾濫している読みもの風な小説の影響をあまり多くうけていることについて、何かの感想を与えられはしないだろうか。限られた生活環境で、これらの人々の受動的にならざるを得ない読者の性質ということをまじめに考えさせられる。
横浜風俗
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2005年12月16日

病菌とたたかう人々

いまはもう鹿児島県に入らない土地となった奄美大島の徳之島という島から十二歳の少女が収容船にのって国立癩療養所星塚敬愛園にはいって来た。十歳のとき発病して、小学校の尋常四年までしかいかなかった松山くにというその少女は、入園したときからもう病状が軽くなくて、あまり運動などもできず、いつも机に向って本をよんだり、作文をかいたりしていた。その作文は、療養所の発刊している『南風』にのって、療養所の人たちに愛読されていた。
 松山くにが十八歳になったとき、彼女は結核性脳炎にかかって、数日のわずらいで亡くなった。
 彼女には、「あの包み」といって大事にしている一つの包みがあった。その包みの中には、彼女が療養所生活の中であきずにかき綴った作文の帳面がいく冊かしまわれていた。自分が死んだあとでも、お国の近い井藤先生(看護婦)にたのんでおいて、一つでも包みからえらんで星塚の文学の本にのせてもらおう、と十八歳の彼女は、もっとずっと年の小さい少女のような筆つきで「床の中」という題の文章のうちにかいている。
 松山くにというその少女が短い生涯を終ってから四年たったとき、彼女の『春を待つ心』が出版された。そしてその桃色地に黄色い菜の花を描いた表紙の本が、いま、わたしたちの前にある。
京都風俗
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